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庭園は敷地の南隅に位置し、「ニワザシキ」から南方向への座視鑑賞を主とする配置に築かれています。池は縁先をめぐるかたちで細長く蛇行し、庭園の中核となる低めの築山上部には、起伏に富んだひときわ背の高い石が豪快に据えられています。その周囲には上部が平らで安定感のある多数の立石が配置され、重畳とした石組の景観を形成しています。築山と庭座敷側とは反りのある切石の橋で結ばれています。
宮津藩御用庭師(ごようにわし)の江戸金(えどきん)の作庭と伝えられ、幕府巡見使や西園寺公望(さいおんじきんもち)、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)をはじめ、当家を訪れた人々の目を楽しませたものと思われます。
石組みの迫力が低下していく江戸時代末期の民家庭園の一般的な傾向に反して、限られた空間の中に池と築山を設け、特徴ある石を大胆に配置し、座視鑑賞を強く意識した商家の庭園として価値が高く、平成12年(2000)に京都府指定名勝に指定されました。