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旧三上家住宅について

記事ID:0017368 更新日:2021年1月29日更新 印刷ページ表示

 三上家

 旧三上家住宅は、本家四代三上宇兵衛の次男勘兵衛が、安政5年(1776)に分家をして、現在地に屋敷を構えたのが始まりです。天明3年(1783)二月、付近一帯を焼亡させた「晒屋火事(さらしやかじ)」と呼ばれる大火により、一旦屋敷は焼失しますが、直ちに再建され、同年12月には現在の主屋(しゅおく)がほぼ完成しました。

 建物は、防火への配慮から、外壁の柱を塗りこめる「大壁造(おおかべづくり)」を特徴とし、窓や出入口、煙出にも土扉を設けています。住宅全体を土蔵のように耐火構造とすることは珍しく、火災に対する用心をうかがうことができます。また、土間の上部は建物の小屋組が吹き抜けとなっており、豪壮な梁や、垂木を扇状に配した「扇垂木(おうぎたるき)」などを見ることができます。その後、家業の発展にともない増改築が行われ、文政3年(1837)には質の高い庭座敷が増築されました。また、天保9年(1839)には幕府巡検視を迎えるため、庭座敷の北側に表門や式台を設けた玄関が新たに設けられました。

 各棟は床、床脇、書院を設けた質の高い座敷で構成されています。特に、庭座敷は随所に銘木を惜しみなく用い、金砂子を全面に撒いた床障壁や、波間に踊る鯉を図柄とした欄間彫刻など、贅を尽くした華麗なるもので、宮津城下屈指の商家であった三上家の繁栄を偲ぶことができます。

 旧三上家住宅は、現存する町屋建築としては大規模なものであり、徹底した防火構造や、家業の発展にともなう増改築の様子をよく示すとともに、建築工事に関係する古文書や酒造施設がよく保存されていることから、平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されました。


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