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漱玉亭跡庭園(日吉神社)
概要
漱玉亭跡庭園(日吉神社)
境内の北西には、泉水を中心として「漱玉」と刻印した配石や巨石を組合せた滝石組があって、正保四年(1647)宮津城主・京極高廣が作庭したと伝えられる(漱玉亭記)。
次の城主・永井尚長も延宝年中に庭園を拡張し、祠堂を造り一帯を漱玉亭と命名した。漱玉とは、飛瀑の水泡の意であって、この滝石組の頂上には漆喰で固められた水道が遺され、神社に残された古絵図と照合すると遠く如願寺川の上流から水を引き、瀑流としたことが判る。この漱玉亭を中心として附近の山景を賞した詩文も遺り、また、背後の山を滝上山と称するのも、この滝に由来する。
自然林を借景とし、これに滝石組を配して人工の瀑布となし、更に泉水を穿つなど、江戸初期の大名による造園規模をうかがい知ることができる。