本文
一心山見性寺
一心山見性寺
見性寺山門
寛永2年(1625)、金屋谷大頂寺5世、伝誉上人の創建と伝えます(『与謝郡誌』)。現在の本堂は明治期に仮堂として建てられたものですが、山門(鐘楼門)は天明5年(1785)の建築になります。
与謝蕪村の「新花摘」に「むかし丹後の宮津の見性寺といへるに、三とせあまりやどりいにけり」とあるように、宝暦4年(1754)から3年半、蕪村はここ見性寺に逗留し画業に励む一方、当寺の竹渓や真照寺の鷺十、無縁寺の両巴といった俳友との交わりを深めました。そのため地域では「蕪村寺」と呼ばれ親しまれています。
境内には蕪村をこよなく愛した俳人正岡子規の弟子、河東碧梧桐の揮毫による蕪村句碑が建てられています。