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本城山経王寺

記事ID:0004864 更新日:2021年1月29日更新 印刷ページ表示

本城山経王寺

経王寺境内

経王寺境内

 

 慶長2年(1597)、与謝郡本庄村(現伊根町)の真言宗楞厳寺を日依上人が改宗。その後、慶長7年に藩主京極高広の帰依を受け現在の地に移り、娘の了智院殿妙尭日清の香華所となったと伝えます(『丹後宮津志』)。ただし高広が宮津藩主になるのは元和8年(1622)のことで疑問を残しますが、高広が寺町を整備した元和・寛永年間以前の創建であることは間違いありません。

 現本堂は弘化2年(1845)の再建で、鬼瓦や長押の釘隠しに京極家の家紋「平四目結」が施されています。また、天井には京で岸駒に師事した宮津出身の絵師和田屏山による壮大な雲龍図が描かれています。

 境内に立つ細長い石塔は天保7・8年(1836・37)の大飢饉で亡くなった人々の供養塔です。又本堂裏の墓地には、了智院殿供養の五輪塔があります。