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長久山本妙寺
長久山本妙寺
本妙寺境内
寛永2年(1625)年4月、京極高広の室寿光院殿が日蓮宗に帰依し、養父の徳川秀忠の菩提のために、田辺(舞鶴市)妙法寺住持の日賢上人を請じて開山としたと伝えます。
昭和6年、災火により山門以外を焼失しました。鉄筋コンクリート造の現本堂は昭和49年に再建されたものです。
本堂裏の墓地には、万治2年銘(1659)の寿光院殿供養の五輪塔が建てられており、この丘陵からは宮津城下を一望することができます。他に宮津藩文政一揆で有名な栗原百助の墓碑があります。
焼失を免れた山門には京極家の家紋である「平四目結」がみられ、京極氏との関わりを物語っています。