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長久山本妙寺

記事ID:0004863 更新日:2021年1月29日更新 印刷ページ表示

長久山本妙寺

本妙寺境内

本妙寺境内

 

 寛永2年(1625)年4月、京極高広の室寿光院殿が日蓮宗に帰依し、養父の徳川秀忠の菩提のために、田辺(舞鶴市)妙法寺住持の日賢上人を請じて開山としたと伝えます。

 昭和6年、災火により山門以外を焼失しました。鉄筋コンクリート造の現本堂は昭和49年に再建されたものです。

 本堂裏の墓地には、万治2年銘(1659)の寿光院殿供養の五輪塔が建てられており、この丘陵からは宮津城下を一望することができます。他に宮津藩文政一揆で有名な栗原百助の墓碑があります。

 焼失を免れた山門には京極家の家紋である「平四目結」がみられ、京極氏との関わりを物語っています。