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仏光山栄照院
仏光山栄照院
栄照院山門
本誓寺栄照院と称し、寛永19年(1642)9月14日、藩主京極高広の家臣落合内蔵助が、慈母(法名=栄照院殿光安周宝大信女)の追福のため、誓誉上人を請じて開いたと伝えます。(『丹後宮津志』)。
落合家は京極家の家老職を務めた家柄で、京極家改易の直前である寛文年間頃には知行2千石で家臣団の筆頭、城内三の丸に屋敷を構えていたことが、同時期の絵図により判明します。また大頂寺に内蔵助供養の五輪塔があります。
本堂には栄照院殿の位牌や、新義真言宗の教学を確立した平安後期の高僧覚鑁の作と伝える地蔵菩薩像が安置されています。また本堂横の客間では与謝蕪村の筆と伝える白菊図板戸絵のほか、多くの障壁画の秀作をみることができます。