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天橋立 名勝指定100年・特別名勝指定70年

記事ID:0013984 更新日:2022年6月7日更新 印刷ページ表示

つなごう、次の100年に

 令和4年(2022)、天橋立が文化財の一つである「名勝」に指定されてから100年、名勝の中でも特に価値が高い「特別名勝」に指定されてから70年を迎えます。

 

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天橋立公園の設立

 天橋立は、古来より和歌の歌枕となり、都人の憧れの地でした。江戸時代に庶民の旅が普及すると、全国各地から多くの人が天橋立を訪れ、我が国屈指の「名所」として「日本三景」と称されました。
天橋立は智恩寺の境内地でしたが、明治4年(1871)、京都府が管理する官林に、明治19年には国(農商務省)の管理地となりました。また明治36年、与謝郡は京都府知事に対して、天橋立を与謝郡の公園にするよう農商務省に働きかけることを申し出ます。明治38年1月、内務省は公園開設を許可。同年11月、与謝郡は公園管理に必要な規則等を決議し、与謝郡が管理する「天の橋立公園」が開設しました(その後、与謝郡の廃止に伴い京都府に移管、現在に至る)。
 また府中地区では、明治33年頃、傘松に天橋立を眺望する民間の展望所が開設されました。大正8年(1919)、与謝郡は成相寺・府中村から土地の寄付を受け、傘松を「天の橋立公園」に編入しました。

天橋立の名称・特別名勝指定

 大正8年、記念物(史跡・名勝・天然記念物)の保存管理を目的に「史蹟名勝天然紀念物保存法」が施行されます。これに基づき、大正11年(1922)3月8日、内務省告示第49号により「天の橋立」は第1期の「名勝」に指定されました。
 同告示による名勝指定は、庭園や橋梁なども含め11件(史跡との重複指定2件を含む)ありますが、天橋立は三保松原(静岡県・世界遺産「富士山」の構成資産)とともに海浜景観の指定第1号となります。
 指定を受けた範囲は、公園地(大天橋・小天橋・傘松)及び智恩寺境内です。指定理由にあるとおり、砂州や白砂青松といった自然景観にくわえて、智恩寺や天橋立神社境内といった人文的な要素が「分かつべからざる」ものとされ、さらに全体の風景を眺望する傘松展望所が、範囲に含まれていることが注目されます。
 昭和27年(1952)11月22日には、文化財保護法(昭和25年に施行)に基づいて、名勝のうち特に重要なものとして「特別名勝」に指定されました。現在、特別名勝は、全国でわずか36件。日本の国土美を表現する名勝の中でも、高い評価を受けています。

 

天橋立の名勝地指定理由(大正11年)

 〇天橋立の名勝地指定理由(大正11年)
「(略)内湾ニ於ケル砂嘴トシテ唯一ノモノナリ、加フルニ白砂青松ノ美景ヲ以テス
磯清水神社(現:天橋立神社)及ヒ智恩寺ノ境内ハ全体ノ風景ヨリ分ツへカラサルモノニ屬ス、成相山上部ノ郡有山林ニハ地ヲ拓キテ小亭(現:傘松)ヲ設ケタルアリ天橋ヲ望ムニ好適ノ地点ナリトス」
(『与謝郡役所文書』)

名勝とは(文化庁HPより抜粋)

  〇名勝とは(文化庁HPより抜粋)
「文化財保護法」では、「庭園、橋梁、峡谷、海浜、山岳その他名勝地で我が国にとって芸術上又は観賞上価値の高いもの」のうち、重要なものとされています。
すぐれた国土美の有様を様々なかたちで表現する名勝は、風致景観の観賞を通じてその価値を発揮する記念物です。主として人間の作意と技術によって造られた人文的なものと、主として天然の営為や素材によって生じてきた自然的なものに大別されます。


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