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天橋立#1 知っているようで知らない天橋立の基礎知識

印刷用ページを表示する 記事ID:0004509 更新日:2020年12月25日更新
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昇龍観

 

日本三景のひとつ「天橋立」。奇跡の絶景として古代より人々の心を魅了し続けてきた“謎多き天橋立”の魅力を連載記事で紐解きます。

 

第1回は、天橋立とはまず何なのか、その不思議な地形の成り立ちと、天橋立の代名詞とも言える“股のぞき”についてご紹介します。

 

 

奇跡の絶景「天橋立」とは?​

松並木 サイクリング

 

「天橋立」は5000本に及ぶ青い松並木と白い砂「白砂青松(はくさせいしょう)」が約3.6km続く大変美しい場所として、年間約300万人の人々が国内外から訪れる景勝地です。金閣寺を建てた足利義満は6度もこの地を訪れ、文珠山から天橋立を眺めて「宇宙の玄妙」と称え大絶賛したと伝わります。天橋立と言えば、山の上から眺める景色が有名ですが、実際に天橋立の松並木を散策するのもおすすめです。

 

★天橋立空撮動画 https://www.youtube.com/watch?v=fc2SoIJL-4E<外部リンク>

 

 

天橋立の成り立ちと不思議な地形が生み出したものとは?

天橋立を作った海流

 

天橋立が海面上に現れはじめたのは今から約2200年前のこと。宮津湾の海流と阿蘇海(あそかい)の海流がぶつかり、砂が徐々に堆積したことによって砂州(さす)が形成されました。それが天橋立です。

 

天橋立が形成されたことで内海(阿蘇海)ができ、阿蘇海を取り囲むように約2100年前(弥生時代)から人が定住するようになります。やがて阿蘇海はたくさんの船が往来する丹後王国を代表する国際貿易港のひとつとなり、とても裕福な都市へと発展していきました。

 

天橋立が内海(阿蘇海)と外海(宮津湾)を分断しているように見えますが、実は2つの橋で繋がっています。

 

廻船橋

 

そんな不思議な地形が生み出したユニークな風景がこちらの「廻旋橋」。文珠水路に架かる橋です。全長36mあり、文殊堂エリアの陸地と天橋立をつなぐ役割をしています。日本国内でも自動で動く橋は珍しく、船が通るたび90度旋回し、船の往来が可能です。

 

大正時代の廻船橋

 

初代廻旋橋は、大正12年(1923)に木造の橋が架けられ、当時は人力で動かして開閉していました(写真は完成当時のもの)。電動式になったのは昭和35年のこと。現在でも観光客の撮影スポットになっています。

 

★廻旋橋の動画 https://youtu.be/VTX-z1xTcxE<外部リンク>

★廻旋橋が動く時刻について http://www.amanohashidate.jp/spot/%E5%BB%BB%E6%97%8B%E6%A9%8B/<外部リンク> 

 

 

120年の歴史を誇る“股のぞき”ってなに!?

股のぞき

 

天橋立といえば、今や代名詞にもなっている「股のぞき」のことも外せません。

 

股のぞきとは、天橋立に背を向けて立ち、腰を曲げて股の間から景色を眺めること。直立時に見られる空と海の景色が逆になり、海が空のように見えて天橋立が天にかかる橋のように見えるのです。

 

このユニークな眺望スタイルは、平成28年(2016)にイグ・ノーベル賞を受賞したことにより、世界からも注目を集めています。

 

股のぞきの白黒写真

 

股のぞき発祥の地と言われるのが、傘松公園。明治33年(1900)頃に傘松公園に展望所を設置した吉田皆三によって広められたもの。股のぞきは、大正・昭和に天橋立のお土産として販売されていた写真入り絵葉書(大正7年〈1918〉~昭和7年〈1932〉に発行されたもの)に多数見られ、天橋立を股のぞきで見るという行為が定着するきっかけになったと考えられます。

 

着物で股のぞきする白黒写真

 

こんな写真も残っています。舞妓さんや芸妓さんも、股のぞきで天橋立を見ることを楽しんでいたんですね。

 

昔からたくさんの人々を魅了してきた天橋立、この記事では天橋立の計り知れない魅力を今後もたくさんご紹介していきます。

 

次回は、神話や百人一首、日本三景など、「文化」の面から見た天橋立のお話です。どうぞお楽しみに!!​

 

天橋立#2 超一流の文化人たちが表現したくなる絶景・天橋立

▶ 天橋立#3 天橋立の絶景を楽しむビューポイント「五大観」

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