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与謝野晶子とも縁の深い天橋立の名旅館「対橋楼」

印刷用ページを表示する 記事ID:0017505 更新日:2023年3月29日更新
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 対橋楼1

宮津には、日本三景にも選ばれている天橋立の美しい景観を求めて古来多くの人々が訪れました。近代に入ると天橋立周辺にはそうした旅行客がくつろげる旅館がたくさん建てられましたが、智恩寺文殊堂の門前に佇む|対橋楼《たいきょうろう》もそのひとつです。天橋立の名所・廻旋橋を目の前に望むこちらの旅館は、歴史の教科書に登場する政治家や文化人も投宿した名旅館。なかでも『みだれ髪』で知られる歌人・|与謝野晶子《よさの あきこ》は2度にわたって対橋楼に投宿しました。今回は、与謝野晶子とも縁の深い対橋楼の魅力に迫ります。

 

温泉や料理のもてなしを通じてくつろぎを提供してくれる名旅館

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        廻旋橋の上から見える松並木

​宮津湾と阿蘇海をつなぐ天橋立運河から程近い場所にある対橋楼。美しい松並木を望む廻旋橋は舟が通るたびに90度回る珍しい橋で、天橋立と文殊堂のある陸地をつないでいます。

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智恩寺文殊堂から徒歩すぐ。茶店や土産物店などが軒を連ねる一角に建っているのが、明治元年(1868)創業の老舗旅館・対橋楼です。


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ロビーには大きな囲炉裏が配され、初めて訪れたのにどこか懐かしい雰囲気が漂っています。


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対橋楼にはさまざまな魅力がありますが、まずはお部屋からご紹介。おしゃれな和風ベッドルームは、白壁と黒い柱のコントラストが美しい、古民家風のモダンな空間。窓を開ければ美しい水面を照らし出す天橋立運河を望むことができ、天橋立の入口ともいえる廻旋橋を部屋から眺められることも。


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2022年11月には天橋立を一望できる庭園付きの和洋室「山吹」が誕生。開放的なロケーションを存分に楽しみたいという宿泊客から好評を得ています。他にもモダンな趣の和室など多彩で、人気を博しています。


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​地下1500mから湧出する天橋立温泉は、湯治にも適した良質な泉源が特徴。肌触りもやさしく体を芯から温めてくれることから「美肌の湯」として知られています。


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​お楽しみの料理にも旅館のこだわりが光ります。冬の味覚の王様として知られる松葉ガニ(例年11月6日~3月下旬まで提供)をはじめ、冬は牡蠣やブリ、春は鯛、初夏の丹後とり貝や岩ガキ、ハモといった丹後の海が育んだ新鮮な魚介類を存分に堪能できます。


宿の原点は四軒茶屋のひとつ「勘七茶屋」

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          明治時代の勘七茶屋

明治元年(1868)に創業した対橋楼ですが、その原点は智恩寺文殊堂の門前に並ぶ四軒茶屋のひとつ、勘七茶屋までさかのぼります。嘉暦時代(1326~1329)、「3人寄れば文殊の知恵」で有名な文殊菩薩を祭る智恩寺文殊堂の門前で餅を売る老婆がおり、その餅を食べた子どもが大人をしのぐほどの利口者となったことが、四軒茶屋で売られる名物「智恵の餅」の発祥と伝わっています。勘七茶屋は、元禄3年(1690)に創業。代々、当主を務める|幾世勘七《いくせ かんしち》が、13代にわたってその味を守り続けています。


★ 「智恵の餅」と四軒茶屋についての詳しい記事


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          明治時代の対橋楼

智恩寺文殊堂や天橋立を訪れる観光客が増えたことをきっかけに、勘七茶屋は智恩寺の許可を得て店の向かいに対橋楼を創業。名前は、宮津藩主のお殿様が野駆けにこの地を訪れた際、天橋立を望む景観に惚れたことから「対橋楼」と名付けたと伝わっています。


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        対橋楼に投宿した野口雨情の書

古くから多くの文化人が訪れた天橋立。そのトレンドは明治以降も続き、対橋楼にも内閣総理大臣を務めた|犬養毅《いぬかい つよし》や『放浪記』などの作品で知られる作家・|林芙美子《はやし ふみこ》、「シャボン玉」「七つの子」など多くの童謡の歌詞を手掛けた|野口雨情《のぐち うじょう》といった有名な政治家や作家、歌人などが投宿しました。与謝野晶子も、そうした著名人の一人として記録に残されています。


2度にわたって投宿した女流歌人・与謝野晶子

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  昭和5年(1930)5月24日、対橋楼玄関前で写真撮影を行う
    与謝野晶子(中央前列・右)と鉄幹(中央前列・左)

歌集『みだれ髪』で明治期の歌壇に一大センセーションを巻き起こした与謝野晶子。大阪・堺に生まれ、明治32年(1899)、関西青年文学界に参加。その後|与謝野鉄幹《よさの てっかん》が主催する東京新詩社に参加し、『明星』に短歌を掲載。鉄幹と恋愛関係となり上京後は、『みだれ髪』を発表し多くの反響を呼びました。日露戦争の際に発表した詩「君死にたまふことなかれ」はあまりにも有名。他にも、『源氏物語』の現代語訳の他、婦人問題や教育問題への積極的な発言など、短歌以外の分野でも活躍した人物です。


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      対橋楼に保存されている与謝野鉄幹の書

晶子と鉄幹は、日本各地を吟遊し、鉄幹の父が生まれた与謝野から程近い宮津にも度々訪れたそうです。対橋楼に投宿したのは、昭和5年(1930)のこと。俳人・郷土史家で、与謝蕪村の丹後時代に関する研究も行った|小室洗心《こむろ せんしん》の招きで宮津や与謝野などを吟行しました。対橋楼には5月22日から2泊。9代目館主とも親交を深め、滞在中は天橋立散策や智恩寺参拝の他、船やケーブルカーで傘松公園、成相寺などを巡りました。また、地元の人などからの依頼で3階の大広間で短期間に100首以上もの歌を詠んだそうです。


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       日本海に沈む夕陽を眺める晶子と鉄幹

1度目の投宿から10年後の昭和15年(1940)にも与謝野晶子は宿を訪れています。昭和10年(1935)に夫・鉄幹を亡くした晶子は、末娘の藤子を伴って来館。その時も多くの作品を残しましたが、吟遊の旅から帰った直後に脳溢血が再発。その2年後に帰らぬ人となりました。全国各地を吟遊していた晶子にとって、天橋立は最期の吟遊の地となったのです。


与謝野晶子・鉄幹夫妻の作品などを展示する「晶子の部屋」

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与謝野晶子との縁が深い対橋楼には、晶子と鉄幹の作品を中心に宿ゆかりの文人墨客の書画などを展示する「晶子の部屋」というミニギャラリーがあります。


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2023年2月の館内リニューアルに伴い、パネル展示が新たに追加されました。


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ギャラリーには、夫妻直筆作品などが展示。美しい筆遣いによって表現された歌の世界は、私たちを明治・大正ロマンの世界に誘ってくれます。


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丹後を訪れた際の二人の様子を伝える写真も展示されています。


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「晶子の部屋」は、宿泊または食事利用の方に限って無料で見学が可能です。天橋立観光の途中に訪れてみてはいかがでしょうか。

 

<データ>
対橋楼(たいきょうろう)
住所:宮津市天の橋立回旋橋畔
TEL:0772-22-2101


天橋立 日本三景 旅館 「対橋楼」(文珠荘グループ)|公式サイト<外部リンク><外部リンク>

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