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藤の生命力と人々の思いが宿る、澄んだ自然布「丹後の藤織り」

印刷用ページを表示する 記事ID:0009212 更新日:2021年5月12日更新
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藤織

藤織りとは、その名の通り藤の蔓(つる)から作った糸を使った織物のこと。硬い蔓が見事な藤棚をつくるほどに力強い樹木である藤から糸を取ると聞くと、少し驚いてしまいますよね。

 

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自然の力を感じる素朴で美しい藤織りは、京都府無形民俗文化財に指定される宮津の貴重な伝統文化。その歴史を覗くと、山村に生きる女性たちのパワーと、その思いを繋いできた人たちの物語がありました。

 

歴史の深い藤織りが残る、数少ない場所

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藤織りの歴史は古く、万葉集にも登場するほど。全国で盛んに織られていましたが、綿花の普及に伴って次第に途絶え、今ではごく限られた土地でしか継承されていません。宮津では世屋地区で藤織りが受け継がれ、一時期は京都・西陣などから注文を受けて帯や座布団、暖簾といった品々を作っていましたが、織り手はだんだんと減り、他の地域と同じく途絶えてしまう寸前となりました。しかし昭和の中頃、民俗資料調査によって世屋の藤織りが再び脚光を浴び、伝承の動きが始まります。1989年(平成元)には「丹後藤織り保存会」が発足し、保存活動はより活発に。

 

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今回は4代目会長で「手織り工房 凪(なぎ)」を営む坂根博子さんに、藤織りの歴史と今、そしてその魅力について教えてもらいました。

 

藤織りを今に伝える里・世屋地区

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藤織りが受け継がれていた世屋地区は、丹後半島の東南部にあたる世屋高原にある山村。山深い秘境のような土地で、農業や炭焼き、紙すきなどを生業としてきました。発足時、保存会では上世屋地区に住むおばあさんたちに指導を仰いで技術を習得。そのおかげで丹後の藤織りは途絶えずに今日まで残り、徐々に広く知られるようになりました。

 

極寒の川で手仕事……連日続く過酷な作業

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「上世屋のおばあさんたちやその子ども、孫の方々が話してくれたのは、藤織りはとても過酷な織物だということ」と坂根さんは語ります。
上世屋において藤織りは「ノノ(藤織りの布)が織れんと嫁にも行かれんじゃった」と言われるほど、なくてはならないものでした。しかし、村の女性たちは藤織り専門の職人ではありません。なぜなら藤織りは、大雪で農作業ができない冬の間に行われる、いわば副業のようなものだったからです。

 

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上世屋の女性たちは雪が溶ける頃に山をかき分けたくさんの藤を取り、木槌で叩いて芯と皮を引き剥がす藤剥ぎを行います。蔓は3層からなっていて、藤織りに使うのはアラソと呼ばれる芯と表皮との間の部分。手作業で蔓の皮を剥いでいく、骨の折れる作業です。春から秋の間は農作業に勤しみ、冬の足音が聞こえ始めたら藤の加工が再スタート。

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自作のコウバシ

アラソを灰汁で炊いて不純物を取り除いたら、次に行うのは藤扱き(ふじこき)。竹で作ったコウバシという道具を使って、村の中央を流れる川でアラソを洗います。冷たい水の中でアラソをしごくと美しく仕上がるそうですが、長時間浸かっての作業は想像を絶する辛さだったことでしょう。

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またいくつかの工程を経て、集落が雪に覆われる1〜3月頃には短いアラソを繋げて1本の長い糸にする藤績み(ふじうみ)が行われます。「藤蔓の根っこ側に印を付けておきます。それは、クルクルと捻れている藤蔓独特の“撚(よ)り”の向きがわかるようにしておくため。撚りの方向を合わせながら糸を繋げていくんです」と坂根さん。

 

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両手に持った繊維の端と端をくるりと撚(よ)り合わせ、1本の長い糸にしていく様はまるで魔法のよう。この作業をカゴいっぱいになるまで続けます。「バネ指や腱鞘炎になる、根気のいる工程です。しかしこの作業の間はゆっくりと腰を下ろして、みんなで楽しく世間話に花を咲かせるひとときでもあったそうですよ」と坂根さんが教えてくれました。
長い糸ができたら撚りををかけて糸枠に巻き取り乾燥させ、やっと機織りの工程へ。一反織るのに一日中作業して2〜3日もかかったそう。大正時代には1軒で一冬に5〜6反、上世屋だけで年間400反ほども織られていたというから驚きです。

 

女性たちの誇りを織り込んだ藤織り

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上世屋では主に衣服や漁村でアワビやサザエを入れるために使う袋であるスマブクロと呼ばれる袋などを作り、売ったり物々交換したりしていました。藤織りの知名度が上がってからは京都市の織物問屋などが買い付けに来るようになり、高値で取引されるように。しかし、木綿やナイロンといった比較的安価で丈夫な布に押されて二束三文で取引されるようになってしまい、その後一時は、生業としての藤織りは途絶えてしまいます。

ある時、上世屋出身の女性に藤織りを教えてほしいと頼むと「こんな悲しいことはしなるな。あんたはまだ若いんだで、もうちいとええ仕事がある」と返ってきた言葉が印象的だったという坂根さん。「世屋のおばあちゃんたちにとって、藤織りはとても辛く過酷なものとして記憶されているんだなと感じました。極寒の川に浸かったり、連日夜なべ仕事をしたり、こんなに厳しい作業をなぜ続けられたのか。それは、家族を支えるんだという愛情と覚悟が原動力だったからでしょう。辛い記憶である反面、彼女たちには、上世屋にあるものと自分たちの腕だけを使って立派な織物を仕立て、家を支えているんだという自負と誇りもあったのですね。藤織りには、女性たちの強さや愛情の深さが一緒に織り込まれているように感じます」。

 

技術だけでなく、人の思いも繋ぎたい

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上世屋の方から譲り受けた藤切り用の大鎌

保存会発足時のメンバーは、上世屋のおばあさんたちと家族のような関係を築きながら、複雑な工程の数々を記憶に刻み込み、技術と思いを継承しました。現在会員は100人以上にもなり、毎年7〜8回行われる講座には北海道から九州、海外からも多くの受講生が。織物の専門家の協力も得て、今や宮津は藤織り継承のメッカとなっています。「藤織りを各地で復活させたい」との思いから、長野県や石川県をはじめ藤織りを全国に広める活動も進めています。
講師をはじめスタッフは皆、ボランティア。「大変なこともありますが、上世屋のおばあさんたち、そして藤織りを途絶えさすまいとしてくれた人たちの思いを継承したいという気持ちが原動力です」と坂根さん。今も昔も、藤織りを繋ぐのは人の強い思いなのですね。

 

糸の個性が味になる、藤織りが秘める無限の可能性

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「藤の繊維は裂けていたり節があったり、ところどころ色が変わっていたり。これを取り除けば単調な糸にもできるけれど、それじゃつまらない。山で力強く蔓を延ばしていた時のままの生命力を感じられるところが、おもしろさなんです」と坂根さん。

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技術や道具が限られていた世屋では、荒々しい風合いの平織りのみが織られていました。しかし現在は様々な織り技法とアイデアを取り入れ、帯やカバン、草履の鼻緒、さらには畳縁やコースターまで、多彩な作品が作られています。

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提供:丹後藤織り保存会

坂根さんは藤糸の持つ個性が際立つ羅織りなどを積極的に取り入れ、自然な表情を生かした新しい作品作りと藤織りの継承に情熱を燃やします。「宮津を訪れたら、人の思いと藤の生命力がギュッと織り込まれた藤織りの作品が放つ力強いエネルギーを、ぜひ肌で感じてみてください」。

 

 

<データ>
手織り工房 凪
京都府宮津市溝尻
問い合わせ:hicoro0321@gmail.com
定休日・営業時間:不定
交通アクセス:山陰近畿自動車道「与謝天橋立IC」から車で約10分
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 Instagram @hikorochan3

丹後藤織り保存会<外部リンク>

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