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第108回 明治時代の町村合併

印刷用ページを表示する 記事ID:0008890 更新日:2021年4月20日更新
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明治時代の 町村合併

「大利の浜」と水産加工業

  明治二一年(一八八八)四月二五日、「市制町村制」が公布され、翌年四月一日に施行されました。これにともなって、いわゆる「明治の大合併」が行われ、京都府内では三二九八あった町村が、一市二七九町村に生まれ変わりました。現在の宮津市域では、この時、宮津町、城東村、由良村、栗田村、上宮津村、吉津村、府中村、日置村、世屋村、養老村、日ヶ谷村の一町一〇村が誕生しました。
 また、町村長、助役、町村会議員の役職が新たに設置されました。町村会議員は選挙によって公選され、町村長は町村民の直接選挙ではなく、町村会議員によって選出されました。町村長、町村会議員は、実費と若干の報酬を受け取る名誉職が原則で、町村政への参画は、有産者の義務と考えられていました。
 町役場では魚屋町に所在した「連合戸長役場時代」の役場が利用されましたが、明治三〇年、桜山に所在した宮津米穀生糸縮緬取引所が解散したことから、明治三六年、跡地に宮津町役場が移転しました。さらに昭和八年には、江戸時代の郡会所跡地にあった宮津警察署が、大手川対岸の大手橋東詰(与謝郡役所の跡地、現在の京都北都信用金庫)に移転したことから、宮津警察署の跡地に宮津町役場が移転しました。この場所は、現在も宮津市役所として受け継がれています。
「市制町村制」の施行は、明治維新以来、変更が重ねられてきた地方制度の完成形を示すもので、現在につづく地方自治の基礎となりました。

(宮津市教育委員会)

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