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第106回 京都府水産講習所の設立

印刷用ページを表示する 記事ID:0005167 更新日:2021年2月19日更新
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水産講習所

京都府水産講習所の設立

 明治三二年(一八九九)五月、柳縄手の民家を改造して京都府水産講習所が設立しました。府県立の水産試験所・講習所としては、愛知県、広島県、石川県に次いで、全国で四番目の施設でした。明治三九年十一月には、鶴賀の海岸沿いの旧宮津城本丸跡地(現在は宮津警察署)に移転しましたが、火災により鉄工室、機関室、実習室が全焼。明治四〇年に再建されました。

 講習所には、漁労科、製造科、養殖科が設置され、実地訓練を通じて、漁場の調査や漁法の改良、漁船改良などが行われました。

 製造科では、明治三六年に大規模な設備を購入し、与謝郡では初めて、罐詰製造に乗り出しました。その直後に勃発した日露戦争では、延べ二万人が動員され、陸軍省に三万五千貫(七万四千円分)の罐詰が納入されています。また、同三六年からは、蒲鉾製造の講習と検査が始められ、宮津町の特産物であった蒲鉾の品質改良に貢献しました。

 さらに、明治三九年には、金太郎鰮を原料とする「鰮油漬」製造が始められ、アメリカ、清国、ウラジオストック(ロシア)などへの輸出も試みられました。その後も「ボーンレスサーデン」、「スモークサーデン」の生産は地道に続けられ、大正時代には全国に名を馳せる名産品となりました。
京都府水産講習所は、漁業の教育や技術改良を担うとともに、宮津の水産加工品の生みの親でもありました。

 

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