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第105回 郡是製糸株式会社の開設

印刷用ページを表示する 記事ID:0005166 更新日:2021年1月29日更新
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群是製糸株式会社

郡是製糸株式会社の開設

 近代の丹後や宮津における丹後縮緬、養蚕業、製糸業の盛行を背景として、明治四五年(一九一二)、宮津町に近代設備をもった郡是製糸株式会社宮津工場が開設しました。

 

 建設場所は、旧宮津城二ノ丸の東側にあたり、江戸時代には武家屋敷が建ち並んでいた土地が利用されました。現在、グンゼ株式会社宮津工場の西側を流れる大膳川は、宮津城二ノ丸の堀のなごりと考えられます。

 

 大正九年(一九二〇)には、釜数二五〇の規模を備え「丹後一帯の繭を消化」して八八〇〇貫の生糸を生産しました(『京都府蚕業史』)。特に、昭和初期における京都府の製糸業は、優れた養蚕技術と高水準の繭の品質に支えられ、黄金時代を迎えていました。その中でも、郡是製糸株式会社宮津工場は着実な成長をみせ、繰業実績は全国に三〇か所あった郡是の工場の中で、昭和四年度には第八位、昭和五年度には第四位と、好成績をおさめました。

 

 この時期は、世界恐慌の影響から生糸価格が暴落し、日本各地の製糸業は大きな打撃を受けていました。しかし、丹後地域では、原材料である生糸の価格低下によって、丹後縮緬の低価格化が実現し、丹後縮緬の黄金時代を迎えていました。郡是製糸株式会社宮津工場の躍進は、こうした経済状況を反映するとともに、丹後縮緬の発展を支える存在として、重要な役割を担っていたと考えられます。

 

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