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第100回 宮津町初の政策提言と天橋立

印刷用ページを表示する 記事ID:0005161 更新日:2021年1月29日更新
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宮津町初の政策提言と天橋立

記念切手 大正六年(一九一七)、宮津町会議員の提案により設置された時務調査委員会(内山廣三、佐久間丑雄、池田進一郎、水谷清七、宮城仁祐、三上勘兵衛、今林仲蔵)は「宮津町政ニ関スル意見書」をまとめ、山本浅太郎町長に提出しました。宮津町最初の本格的な政策提言として注目されます。

 

 まず、「第一 町是ノ確立」では、貿易港としての繁栄を追求する夢が行き詰りをみせる中、天橋立を中心とした観光振興への転換が掲げられています。また、「人ニ個性ニ基ク使命アルガ如ク土地モ亦其地理ニ基ク使命ナカルベカラズ」と、地域資源の見直しに言及され、近年のまちづくりに通じる視点がみられます。

 

 以下では島崎公園の造営など具体的な提言が続きますが、最後に「町ノ美観ト風致ニ関係アル場所ハ努メテ樹木ヲ植栽スルコト」とあり、景観の重要性が語られています。都市計画法、市街地建築物法の制定により、日本で初めて「風致地区」、「美観地区」の考え方が登場するのは、「宮津町政ニ関スル意見書」から二年後の大正八年のこと。極めて高い見識に基づいた政策提言であったと評価できます。

 

 こうした中、大正時代から昭和初期の天橋立は、国の名勝指定などを通じて全国的な知名度を高め、近代観光地への転換を果たします。史蹟名勝天然紀念物保存法(大正八年施行)による天橋立の名勝指定は大正十一年(一九二二)。三保松原(静岡県)とともに、第一号の指定でした。

 

 史跡名勝天然記念物の保護制度の開始から一〇〇年が経過したことから、本年七月には「史跡名勝天然記念物保護100年」の記念切手が発行され、天橋立が取り上げられています。

 

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