本文
第97回 警察組織の整備
警察組織の整備
日本の警察制度は、平安時代に遡り、京都の警備にあたった検非遺使が、その起源とされています。江戸時代には、町奉行などが警察の役割を果たし、宮津藩では町役所の「目付」が警察機能を統括しました。
明治四年の廃藩置県によって、江戸時代の組織は「捕亡吏」と改められました。宮津が所属した豊岡県の制度に従い、警部、巡査が置かれました。明治九年、丹後地域が京都府に移管されると、宮津警察署が設置され、江戸時代の旧藩郡会所の跡地(現在の宮津市役所の位置)に庁舎が建てられました。
明治一九年に、中・竹野・熊野郡を統括する峰山警察署が置かれるまで、宮津警察署は与謝郡のほか、中・竹野・熊野郡を管轄し、長い間、丹後一円の中心的な役割を担いました。
その後、昭和八年には、大手川対岸の大手橋東詰(与謝郡役所の跡地)に移設され、宮津では初めて鉄筋コンクリートを採用した庁舎が建設されました。戦後、幾度かの組織改編がありましたが、大手橋の東詰に庁舎が置かれ続け、京都府立海洋センターの移転を受けて、現在地に移転しました。