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第95回 電燈会社の設立

印刷用ページを表示する 記事ID:0005156 更新日:2021年1月29日更新
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電燈会社の設立

記念プレート 明治一五年(一八八二)、東京銀座において日本初の電燈(アーク灯)が灯り、連日多くの人たちが見物に訪れました。明治一九年には、日本初の電力会社・東京電燈(東京電力の前身)が設立され、電燈は文明開化の象徴として日本の夜を照らしました。

 

 宮津における電気の利用は、明治四三年六月七日、宮津町の三上勘兵衛、黒田宇兵衛、宮城宗七らが、関西の電気王と呼ばれた才賀藤吉(愛媛県)と協力して河原町に設立された宮津電燈株式会社が始まりとされています。旧三上家住宅の向かい側に建つ電柱には、「宮津の電気発祥の地 明治四三年この地で発電を開始」というプレートが貼られ、電力会社の設立を高らかに伝えています。電気の普及が、人々の念願であったことが伺えます。

 

 同社は、翌年元旦に営業を開始し、宮津町の四三四戸と城東村滝馬にあった第四中学校の合計一〇九六燈を点燈しました。需要の増大にともなって、明治四五年には丹後電気株式会社(加悦町)、丹波電気株式会社(八木町)と合併し、両丹電気株式会社(本社:宮津町)に改称。その後も豊岡電気株式会社などと合併して規模を拡大していきました。

 

 宮津町に続き、大正元年(一九一二)には文珠と吉津村、同七年には城東村と府中村、同八年には栗田村、同一〇年には上宮津村と電燈は次々と普及していきます。特に、世屋村畑では自家用の水力発電が創設され、各地で様々な工夫がなされていきました。

 

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