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第89回 ルイ・ルラーブとカトリック宮津教会
ルイ・ルラーブとカトリック宮津教会
フランス人のルイ・ルラーブは、明治一八年(一八八五年)、カトリック宣教師として神戸に上陸しました。大阪川口教会で日本語を学んだ後、「浦上四番崩れ」(明治時代初期に長崎でおこったキリスト教徒の迫害事件)を経験したヴィリヨン神父のもとで京都に滞在し、明治二一年より宮津を拠点としてキリスト教の布教を開始しました。
田井五郎右衛門(日置村)が宮津町に所有した借家を利用していましたが、明治二八年に田井五郎右衛門が洗礼を受け、敷地を寄付。同年から天主堂の建立が始まり、明治二九年五月六日に献堂式が行われました。これが現在のカトリック宮津教会です。
設計はルイ・ルラーブ自身が行い、施工は地元の大工・大井正司が担当しました。明治村(愛知県犬山市)に移築された聖ザビエル天主堂(京都河原町三条教会)との類似点が多く、ルイ・ルラーブの日本における足跡をよく表しています。
昭和二年(一九二七年)の丹後大震災により、外装が破損したため、玄関周辺を中心に改修が行われましたが、畳敷きの会衆席など、日本にキリスト教が根付きはじめた明治時代の教会の様子をよく伝えています。また、意匠や施工がすばらしく、明治時代の教会建築として高い評価を受けています。
宮津の近代を物語る貴重な建築物であり、これからも静かな祈りの場として、受け継がれていくことが望まれます。