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第87回 京都・宮津間車道の開通

印刷用ページを表示する 記事ID:0005144 更新日:2021年1月29日更新
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京都・宮津間車道の開通

宮津の道路 宮津をめぐる交通は、日本海の海路を主体としましたが、陸上交通の整備は遅れ、明治時代のはじめまで、宮津・京都間の往来には、片道でも二泊三日を要したと言われています。

 

 波路村の売間九兵衛を中心として、明治一二年(一八七九)頃から、栗田峠のトンネル開削などが計画されていましたが、工事資金の調達が大きな課題となっていました。こうした中、明治一四年に京都府が「京都・宮津間車道」の工事を決定し、五ヵ年計画で大工事が始まりました。

 

 栗田峠などの難工事のため、竣工は明治二二年八月と大きく遅れましたが、これにより約一三九キロメートルの縦貫道路が完成。京都の大宮七条から乙訓郡大枝、亀岡、八木、須知、福知山、河守、由良を経て宮津にいたるもので、宮津側の起点は大手橋となりました。明治一九年、栗田トンネルの余材を利用して石橋が掛けられ、眼鏡橋として親しまれました。車道の道幅は三間(約五・五メートル)を基本とし、現在も当時の道幅を残す区間がみられます。

 

 明治二四年、宮津町小川の澤田宇兵衛によって、京都・宮津間の乗合馬車が開業しました。午前五時宮津発の馬車に乗ると、翌日の午前一一時には京都七条大宮に到着し(園部で宿泊)、一泊二日と大幅に時間が短縮しました。また、明治二六年に直通馬車が開通すると、所要時間は一五時間となり、宮津と京都の交通は大いに改善されたのです。

 

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