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第85回 天橋義塾の創設

印刷用ページを表示する 記事ID:0005142 更新日:2021年1月29日更新
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天橋義塾校舎

天橋義塾の創設

 明治八年(一八七五)、小笠原長道(のちの小室信介)が中心となり、有志によって私塾・天橋義塾が設立されました。明治初期の宮津は、廃藩置県により職を失った士族(江戸時代の武士階級)が苦しい生活を強いられ、また、明治四年には藩校・礼譲館(江戸時代に宮津藩が建てた学校)の流れを汲む文武館が廃校になったことから、士族の子弟を中心とする青少年の教育が大きな課題となっていました。

 

 七月一日の開業式には、教師を務める粟飯原曦光や、生徒二一名をはじめ関係者九〇名あまりが出席し、新たな船出を迎えました。校舎は礼譲館の地に建てられ、古写真によりその姿を知ることができます。また、この場所は現在の宮津小学校に当り、校庭には「天橋義塾の跡」と記された石碑が建てられています。

 

 天橋義塾の教科書をみると、礼譲館から引き継いだ漢籍(中国の古典)のほかに、『與地誌略』やパーレー『万国史』など世界の地理や歴史に関するもの、個人主義的な道徳を説いたスマイルズ『西国立志編』、ブルンチュリ『国法汎論』や『万国公法』など法律や国際法に関するもの、ミル『自由之理』、福沢諭吉『文明論之概略』といった西洋の「自由」や「民権」に関するものと、当時、広く読まれた本をカバーしています。さらに、多数の英書もみられ高い教育水準が窺えます。

 

 天橋義塾からは、新しい時代を担う若者が数多く輩出され、日本や宮津の近代化に大きな影響を与えていきます。

 

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