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第80回 犬の堂の伝説

印刷用ページを表示する 記事ID:0005127 更新日:2021年1月29日更新
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犬の堂

犬の堂の伝説

 宮津市街地から文珠に向かう一角に、犬の堂の石碑がみられます。延宝六年(一六七八)、宮津藩主・永井尚長により建てられたもので、碑文は儒学者である林春斎(林羅山の三男)によるものです。現在、石碑の碑文は、風化により読みにくくなっていますが、『丹後宮津志』などに全文が収録され、犬の堂の由来を知ることができます。

 

 昔、波路村の戒岩寺が、九世戸の文殊堂を兼帯していた頃、一匹の賢い犬が、毎日両寺の間を往来していました。ところが年老いて、その犬が死んでしまったので、僧は犬を憐れんでここに堂を建てて弔い、犬の堂と呼びました。以来年が経って堂も壊れたので修復して、同時にこの碑を建てた次第です。

 

 石碑のある一帯には、もとは虎が鼻と呼ばれる丘があり、宮津城下町から文珠に向かう街道も、丘の上を通っていました。丘の上には草堂が建てられ、堂内に石碑があったようですが、明治一六年の道路の開鑿に伴って、石碑を現在地に移動したと伝えられます。

 

 犬の堂の名称は、すでに近世初頭の史料にも散見し、「細川家記」には、細川幽斎が小亭を建てて犬の堂と名づけ、

 犬堂の 海はるゝと ながむれば かすみは舟の 帆にかかるなり

と詠んだと記されています。

 

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