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第78回 和貴宮神社の玉垣を読む

印刷用ページを表示する 記事ID:0005125 更新日:2021年1月29日更新
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和貴宮神社

和貴宮神社の玉垣を読む

 和貴宮神社の表門の両脇には、六六本の玉垣がみられます。「天保十五年甲辰年四月吉日」(一八四四)とあることから、天保一二年(一八四一)の表門の再建に際して、玉垣が建てられたと考えられます。

 

 この玉垣には、五一名の寄進者の名前が刻まれ、その居住地は越中、能登、越前、近江、京都、大坂、播磨、備前、讃岐など、日本各地に及びます。なかでも「銭屋五兵衛」は、加賀国金石(石川県金沢市)を中心に活躍した北前船主として有名で、宮津と北前船の関連が注目されています。

 

 ところで、和貴宮神社の玉垣に登場する宮津の商人「宝来屋儀八郎」「大和屋藤兵衛」の名前は、天橋立の小天橋(廻船橋)の前に建つ石燈篭にもみられます。

 

 この石燈篭には「天保十五年 大和屋藤兵衛 宝来屋儀八 酒見弥兵衛」と刻まれており、和貴宮神社の玉垣と同じ年に建てられています。さらに和貴宮神社が所蔵する祭具にも、「天保十二年辛丑九月吉日 萬町宝来屋儀八 定客 大坂 大和屋藤兵衛」とあり、大坂の大和屋藤兵衛という商人が、宝来屋儀八との商売で、しばしば宮津を訪れていた様子が浮かびあがります。

 

 大和屋藤兵衛が、どのような人物であったのかは興味の尽きない問題であり、和貴宮神社の玉垣に刻まれた人物の足跡を追うことで、江戸時代に活躍した商人達のネットワークを解明できるかもしれません。
 

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