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第77回 宮津祭のにぎわい

印刷用ページを表示する 記事ID:0005124 更新日:2021年1月29日更新
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神輿巡幸

宮津祭のにぎわい

 江戸時代から、宮津の町に春の訪れを告げる宮津祭は、日吉神社(山王社)の祭礼で、宮津城下町をあげて奉仕することから「国祭」と呼ばれました。中断と再興を繰り返し、元禄九年(一六九六)、波路村の御旅所への祭礼が復活したと伝えられます(『宮津日記』)。

 

 宮津祭の特徴は、祭礼の行列が城内に入り、藩主がこれを見学したことです。特に、藩主の本庄宗秀は、宮津城の二の丸東側の不明門に御覧所を設けて、行列を見学しています。弘化二年(一八四五)には、宗秀が持っていた扇を投げ渡したという記述があり、祭りの活気が伝わります。

 

 山王社の祭礼は、神輿の巡幸を中心とし、神楽、浮太鼓で構成されています。

 

 現在は休止されていますが、江戸時代には山屋台や芸屋台が出されており、その様子は「山王社祭礼図絵馬」に描かれています。

 

 この絵馬は、天保一三年(一八四二)、『丹哥府志』の挿図を依頼された宮津に滞在した佐藤正持が描いたものです。六面からなる大作で、全長二一メートル以上に及びます。

 

 絵図を見ると「山王大権現」と書かれた幟を先頭に、鳴り物、獅子舞、神楽などが続きます。その後ろに山屋台と芸屋台が曳き出され、武器をもった行列あとを神輿、町役人や惣代、神主らが進み、さらに最後尾に浮太鼓と、その姿は壮観です。また、祭りを見学する人々の姿もみられ、宮津祭りのにぎわいをいきいきと描いています。
 

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