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第76回 江戸時代の日吉神社

印刷用ページを表示する 記事ID:0005123 更新日:2021年1月29日更新
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日吉神社の境内

江戸時代の日吉神社

 城下町の西部に鎮座する日吉神社は、滋賀県の日吉大社を勧請したと伝えられます。詳細な由緒は明らかでありませんが、江戸時代には歴代宮津藩主の崇敬を集め、「国祭」と称された宮津祭りは現在も賑わいをみせています。

 

 特に、滝上山の山麓という恵まれた立地から、藩主によって別荘が造営され、『宮津府志』の記述から次のような変遷が想定されます。

 

(一)正保四年( 一六四七)、京極高広が眺望の良さを気に入って、社を社人の居住地に移し、跡地に別荘を造営した。

(二)京極高国の時代に、別荘を取り除いた。

(三)永井尚長の時代には、山上に祠堂を建てて永井家の霊をまつり、傍らに別荘を造営した。また、山を滝上と名付けた。

(四)永井尚長の没後に祠堂、別荘が廃絶したため、元禄一五年( 一七〇二)、奥平昌春の時に本社をもとの場所に移した。

 

 なかでも永井尚長は、庭園を整備して漱玉亭と命名。現在も境内に漱玉亭跡庭園が残され、宮津市指定の名勝となっています。また、日吉神社が所蔵する「漱玉亭庭園図」という絵図には、「瀧上御祠堂地」( 祠堂)、「御茶屋地」( 別荘か)、「御泉水」( 漱玉亭か) などの記載があり、永井時代の別荘地の配置を知ることができます。さらに『宮津府志』には、京極高広の社地移転にともなう経筒出土の記事があり、これに当たる平安時代の経筒が神社に保管されています。

 

 日吉神社には、江戸時代の変遷を物語る多彩な資料が残され、現在の境内の成り立ちを読み解く楽しさがあります。

 

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