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第75回 寺町を歩く (10)智源寺と京都画壇
寺町を歩く (10)智源寺と京都画壇
智源寺は曹洞宗の寺院で、山号は松渓山。
寛永二年(一六二五)、京極高広が、母である総持院松渓智源禅尼の菩提を弔うために創建されたと伝えられます。寛文年間(一六六一から一六七三)に曹洞宗僧録司(寺院の人事を統括する役所)となり、末寺六七寺を抱える中本山の寺格を誇りました(『宮津府志』)。
本堂や山門、庫裡、土蔵造りの経蔵などからなる広大な境内も特徴的ですが、智源寺の見どころは、何と言っても本堂内陣の天井画です。
この天井画は「四季草花(花弁)図」と呼ばれ、一九世紀初頭の京都画壇(画家たちの社会)の実力者が競演した作品です。土佐派や鶴沢派、円山派、四条派、岸派、原派といった内裏(御所)の障壁画を制作した実績をもつ流派の画家二〇名が集まって、二〇面の草花(花弁)図を各自が担当しています。各作家の作風がよく表れ、見る者を魅了します。
さらに、それぞれの絵画は、画壇の序列によって厳格に配置され、流派の格式や宗家・弟子の区分が明示されています。まさに、当時の画壇の縮図を反映しているようです。
この天井画は、当時の最先端をいく京都画壇の大作と評価でき、これ以降、京都画壇が宮津へ進出する起爆剤となった作品と考えられます。このほかにも智源寺には、四条派による襖絵群が残されており、宮津と京都画壇の関わりを知る上で重要な寺院です。