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第73回 寺町を歩く (8)見性寺と与謝蕪村

印刷用ページを表示する 記事ID:0005120 更新日:2021年1月29日更新
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見性寺

寺町を歩く (8)見性寺と与謝蕪村

 見性寺は浄土宗の寺院で、山号は一心山。寛永二年( 一六二五)、大頂寺の五世・伝誉上人により創建されたと伝えられます。

 

 『新花摘』に「むかし丹後宮津の見性寺といへるに三とせあまりやどりゐにけり」とあるように、三九歳の与謝蕪村が、宝暦四年( 一七五四) から見性寺に逗留し、三年あまりを宮津で過ごしたことは、よく知られています。

 

与謝蕪村は、池大雅や円山応挙、伊藤若冲と同時代を生き、文人画というジャンルを確立した画家であり、また、松尾芭蕉、小林一茶とともに江戸時代を代表する俳人として評価されています。マルチな才能を発揮した点で他の追随を許さず、江戸時代の美術史、文学史において異彩を放つ人物です。

 

 二〇歳で関東に下り、宋阿(早野巴人)に師事して俳諧を学びます。しかし、二七歳の時に宋阿の死により江戸を去り、一〇年間、東北、関東を遊歴します。その後、三六歳で京都に上京。社寺に所蔵される多くの絵画作品に触れる機会を得ました。

 

 絵画への興味が実を結ぶのが、まさに「丹後時代」です。独自の画風を模索し、精力的に多くの絵画作品を残した宮津での日々は、後年の大成への転機をつかんだ重要な時代とされています。「丹後時代」の代表作は、中国の神仙思想や徐福伝説を題材にしたものが多く、蕪村の成長に、丹後の魅力的な自然や景観、伝説に彩られた部厚い歴史が作用したことは、容易に想像できます。

 

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