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第72回 寺町を歩く (7)金屋谷唯一の禅寺・国清寺

印刷用ページを表示する 記事ID:0005119 更新日:2021年1月29日更新
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寺町を歩く (7)金屋谷唯一の禅寺・国清寺

 国清寺は臨済宗の寺院で、山号は泰叟山。

 

 寛永二年(一六二五)、京極高広の妻・寿光院が、父である池田輝政(姫路藩の初代藩主)の菩提のために建立しました。輝政の法名「国清院殿泰叟玄高大居士」から、山号寺名を付けたとされています(『丹哥府志』)。開山は京極高広に従い宮津に入った別源禅師によるもので、後に別源は智恩寺に移り中興に努めました。

 

 境内は本堂、庫裡、土蔵造りの経蔵、鐘楼、観音堂、山門などからなり、整然とした伽藍は禅宗寺院らしい佇まいをみせています。また、庫裡書院の襖や欄間には、経王寺の天井画を

 描いた和田屏山や西村奇石、松川龍椿など、幕末に宮津で活躍した絵師たちの絵画がみられます。

 

 このうち西村奇石は、文政九年(一八二六)に宮津藩士・内藤郡八の次男として生まれました。谷文晁に師事した菅沼周鳳から画法の手ほどきを受けますが、奇石が一九歳のときに周鳳が逝去したため、和田屏山に入門。その後、藩主・本庄宗秀のすすめにより、京都岸派の三代目宗家・岸連山のもとで研鑚を重ね、二八歳で帰藩しました。作風を使い分け、幅広い画題や様式を器用にこなした力量は、高く評価されています。

 

 その他にも、国清寺には優れた仏画が多くみられ、禅宗寺院の高い文化水準を体現しています。

 

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