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第71回 寺町を歩く (6)経王寺と和田屏山の天井画

印刷用ページを表示する 記事ID:0005118 更新日:2021年1月29日更新
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寺町を歩く (6)経王寺と和田屏山の天井画

 経王寺は、日蓮宗の寺院で、山号は本城山。

 

 京極高広が、慶長七年(一六〇二)、与謝郡本庄村(現・伊根町)の楞厳寺(真言宗)を現在地に移し、娘である了智院妙尭日清の香華所としたと伝えられます(『与謝郡志』)。

 

『本城山寄附連名簿』によると、現在の本堂は、天保一四年(一八四三)の法事の席上で、大破した本堂の再建が決議された夜、初雪によって瓦が落下したため、急いで工事が開始され、弘化二年(一八四五)一〇月に完成したとされています。天井には和田屏山の「蟠龍図」が残され、見る者を圧倒します。

 

 和田屏山は、文政三年(一八〇六)、宮津藩御用達の縮緬屋・塩屋太兵衛の子として生まれ、京都に出て岸駒(京都画壇で一大勢力を築いた岸派の祖)に入門しました。京都画壇の技術を習得した宮津出身の画人としては、先駆者的な存在で、加悦、綾部といった広い範囲に作品が残されています。

 

 江戸時代の宮津は、丹後の中心的な城下町として発展したことから、経済的に力をもつ町人が台頭し、円山派や四条派など知名度が高い京都画壇の作品を買い集めました。また、和田屏山や西村奇石など、宮津出身の画人が活躍したほか、宮津に滞在して活動した画人も多く、社寺や旅館などに、今も力作が残されています。

 

 こうした豊かな美術品は、江戸時代の宮津の高い文化力を如実に示すもので、経王寺の天井画は、その代表と評価できます。

 

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