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第70回 寺町を歩く (5)本妙寺と多彩な石造物

印刷用ページを表示する 記事ID:0005107 更新日:2021年1月29日更新
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寺町を歩く (5)本妙寺と多彩な石造物

 本妙寺は日蓮宗の寺院で、山号は長久山。

 

 寛永二年(一六二五)、京極高広の妻・寿光院が田辺(舞鶴市)の妙法寺から日遙上人を招いて創建されました。寿光院は、岡山藩主・池田輝政の娘で二代将軍・徳川秀忠の養女となっています。本妙寺のほかに大頂寺、国清寺の創建にも関わっており、寺町の形成を考える上で欠かせない人物です

 

 境内は昭和六年の火災で焼失し、昭和四七年に鉄筋コンクリート造りの本堂が再建されました。焼失をのがれた山門には、京極家の家紋である『平四目結』がみられ、創建時の歴史をとどめています。

 

 さて、本妙寺境内の墓所には、応永二七年(一四二〇)銘をもつ石造の卒塔婆がみられます。塔身の西側には題目(日蓮宗などで用いられる南妙法蓮華経の文句)や、日蓮、日成、日妙、日□上人という銘文があり、日蓮宗の広がりを示す資料です。その年代は、妙照寺(日蓮宗)が府中地区から移ったと伝えられる永正五年(一五〇八)より古く、江戸時代に寺町が作られる以前から、金屋谷が日蓮宗の拠点となった可能性をうかがわせます。

 

 また、本妙寺境内の墓所には、万治二年(一六五九)銘をもつ寿光院を供養した五輪塔や、文政一揆で処罰された栗原百助の墓碑があり、近世・宮津藩の記憶を伝えています。

 

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