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第68回 寺町を歩く (3)府中から移転した妙照寺
寺町を歩く (3)府中から移転した妙照寺
妙照寺は日蓮宗の寺院で、山号は功徳山。寺伝によると、文安元年(一四四四)九月、日養上人によって府中地区に創建されましたが、永正四年(一五〇七)、若狭武田氏の侵入に際して兵火にあい、翌五年(一五〇八)、現在地に移転したと伝えられます。
府中地区に建つ妙立寺には、銘文をもつ厨子(国重要文化財)が所蔵され、(1)日養上人が身延山久遠寺(山梨県)から丹後に到り、「丹後国法華宗、根本の地」として妙立寺が成立したこと。(2)その五年後に妙照寺、さらに正音寺を建立したと記されています。このうち正音寺は、府中地区の字小松に伽藍が現存し、その北東に近接して「妙照寺」という小字名が残っています。
また、妙照寺に安置される日蓮上人像の像内には、「宝徳三年(一四五一)功徳山妙照寺の大聖人日朗が作った」ことを記す墨書があり、妙立寺、妙照寺、正音寺の成立に関わった「日養」の花押がみられます。
こうした数々の資料は、一五世紀に府中に建てられた妙照寺が、その後、現在地に移転したとする寺伝の内容を裏付けており、金屋谷の寺町の中で、最も古い由緒をもつ寺院として注目されます。
現在の境内は、山門、本堂、庫裡で構成されます。本堂の東側には清正堂があり、日蓮宗を信仰した加藤清正を祀る「清正公信仰」に関連すると考えられます。