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第67回 寺町を歩く (2)栄照院と京極氏の家臣団

印刷用ページを表示する 記事ID:0005093 更新日:2021年1月29日更新
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寺町を歩く (2)栄照院と京極氏の家臣団

 本誓寺栄照院は、山号は仏光山。浄土宗の寺院で、阿弥陀如来像を本尊とします。現在の境内は、本堂や山門などから構成され、道に面した石垣や白壁は、寺町の風情を伝えています。

 

 「丹後宮津志」によると、寛永一九年(一六四二)九月、宮津藩主である京極高広の家臣・落合蔵之助が、母・栄照院光安周宝室大信女の逝去にともなって、その菩提を弔うために創建したと伝えられます。

 

 落合氏は、宮津藩主・京極高広の家臣を勤めた家柄で、この時期の城下町絵図(兵庫県立歴史博物館蔵)をみると、宮津城三の丸の西南部に「落合主税助」・「落合杢之助」という人物の屋敷地がみられます。この絵図には、二〇〇名を越える家臣の氏名、役職、知行(藩主から給料として保障された土地)が書かれ、当時の家臣団を復元することが可能です。このうち落合主税助は、家老(家臣の最高職)を務め、二〇〇〇石の知行が認められています。

 

 その後、隠居した高広と、跡を継いだ息子・高国の不和が問題となり、寛文六年(一六六六)、京極氏は改易(大名の領地没収)。三年間の幕府領を経て、永井氏の時代に移り変わります。しかし、宮津城や宮津城下町の再興など、京極氏が果たした役割は大きく、寺町の由緒や歴史の中に、その足跡は深く刻みこまれています。

 

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