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第66回 寺町を歩く (1)仏性寺と中井権次

印刷用ページを表示する 記事ID:0005092 更新日:2021年1月29日更新
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仏性寺

寺町を歩く (1)仏性寺と中井権次

 寺町を形成する金屋谷の入口に、西堀川通を望むように仏性寺が建っています。

 

 田辺の瑞光寺(舞鶴市)を開山した明誓が、元和年間(一六一五から二四)、京極高広が田辺から宮津に移る時に、長男・順誓とともに宮津に来て建立したと伝えられます(『丹哥府史』)。また、『与謝郡誌』には「天正一八年(一五九〇)、宮津に来り一宇を建立」とあり、創建年代が遡る可能性もあります。本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代の作品で、玉眼だけでなく唇にも水晶が嵌め込まれており、全国的にも珍しい貴重な仏像です。

 

 さて、境内入口の山門には、細川家の九曜紋が打たれ、唐獅子、獏、象などの彫物がみられます。特に、通路中央の冠木上には龍の彫物が横たわり、背面に「彫物師丹州柏原住中井権次橘正貞」と作者が刻印されています。

 

 中井権次橘正貞は、江戸時代に活躍した彫刻師・中井氏の六代目に当たります。「神社仏閣彫物細工万覚帳」という古文書によると、仏性寺の山門は、嘉永五年(一八五二)から安政三年(一八五六)の間に、「町大工伊助」により建てられたことがわかります。この古文書には中井氏が手掛けた彫物が記録され、「一、かふき上 弐間 龍」は、「中井権次橘正貞」と刻印された龍の彫物と考えられます。

 

 中井一統の作品は丹後、丹波、但馬、播磨の社寺に数多く残されており、近年、顕彰会によってマップが作成されるなど注目が高まっています。

 

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