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第63回 東洋考古学者・三上次男と「海の道」
東洋考古学者・三上次男と「海の道」
北前船の運営に関わった「元結屋」三上家の親族に、東京大学教授として戦後の東洋考古学をリードした三上次男氏がいます。
三上次男氏は、明治四〇年三月、宮津町白柏で生まれました。北海道に移る小学五年生まで宮津の町で過ごし、その思い出は「ふるさと宮津 ―やさしかった町―」(『春日抄 三上次男随筆集』)というエッセイの中で語られています。「青く澄んだ深くなめらかな海、土蔵造りの町屋にそった裏町の小路」や、「どこを歩いても山陰地方の城下町らしい静けさで、白い陽だけが土壁を斜めに照らし…」という記述は、現在の宮津の町並みとも重なり興味を引きます。
東亜考古学会の留学生として戦前の中国に滞在し、青銅器時代から古代・中世におよぶ幅広い視野から、東北アジアの国家形成研究。『金史研究』(全三巻)で日本学士院恩賜賞を受賞しました。特に、戦後に手がけた陶磁器の研究は、東アジアから東南アジア、インド、中東、アフリカやヨーロッパを結ぶ、陶磁器のダイナミックな流通を明らかにし、「海のシルクロード」の提唱は、シルクロード・ブームの先駆けとなりました。
さらに、昭和五二年から行った尻八館遺跡(青森県)発掘調査では多量の中国陶磁器が出土。この時、三上氏が指摘した日本海を通じた中国大陸との交流は、現在も中世の丹後府中を考える上で欠かせない研究課題です。
海の視点から、丹後の歴史の見直しが進む中、三上次男氏のスケールの大きな研究は、さらに輝きを増しています。