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第46回 宮村遺跡と正印寺

印刷用ページを表示する 記事ID:0005064 更新日:2021年1月29日更新
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正印寺

宮村遺跡と正印寺

 丹後では多くの遺跡の発掘が注目を集めていますが、宮津市街地では宮津城跡より古い遺跡の調査はわずかです。

 

 こうした中、宮村の丘陵上に広がる宮村遺跡では弥生時代中頃(約二〇〇〇年前)の集落がみつかっています。また、この遺跡からは平安時代の三棟の建物が見つかっており、建物の形から倉庫群と考えられること、役人が使用した緑釉陶器が出土していることから、平安時代に官衙(国・郡などの役所)が置かれていた可能性があります。

 

 ところで、宮村遺跡の東には正印寺があり、平安時代の薬師如来像(市指定文化財)が安置されています。また、近くには八坂神社(祇園社)が鎮座します。その由緒は、文永年間(一二六七―七五)に疫病が流行した時に薬師寺を建てるとともに、京都の祇園社から牛頭天王(疫病を退治するために花笠や山鉾を出して平安京を歩いた。これが祇園祭の起源とされる)を迎えたのがはじまりと伝えられています。

 

 その後、江戸時代には薬師寺は衰退し、正印寺に移転または合併したようですが、宮村の奥には「薬師堂」という小字地名も残り、平安時代から薬師信仰や祇園信仰が色濃くみられます。宮村遺跡に官衙が置かれていた可能性も考えると、古代・中世の宮津において、宮村周辺が中心地の一つであったことが浮かびあがり、戦国時代、細川氏が八幡山城を拠点とした意味も読み解けるかもしれません。

 

 

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