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第45回 古代の宮津

印刷用ページを表示する 記事ID:0005063 更新日:2021年1月29日更新
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杉末神社

古代の宮津

 和銅六年(七一三)、丹波国であった加佐、与謝、丹波、竹野、熊野郡が分割され、丹後国が誕生しました。平安時代の辞書である『和名類聚抄』には、丹後国与謝郡には宮津郷、日置郷、拝師郷、物部郷、山田郷、謁叡郷、神戸郷が置かれていたと記載され、少なくとも平安時代には「宮津」の地名がみられます。

 

 さらに、奈良時代の都であった平城京(奈良市)の発掘調査において「宮津郷烏賊二斤太」「丹後国与謝郡宮津郷酒米五斗」と書かれた木簡が出土しています。木簡とは、日本各地から平城京に運ばれた産物の荷札であり、(1)「宮津」の地名が奈良時代まで遡ること、(2)海産物である「烏賊」や、酒の製造用である「酒米」が、特産品であったことが確認できます。

 

 特に、平城京の「造酒司」(酒造りの工房)で作られた酒は、天皇の儀式や重要な祭祀に用いられており、原料として良質な米が求められたと考えられます。

 

 ところで宮津郷は、旧宮津町内から上宮津、栗田半島を含む一帯と推定され、「宮津」という地名は「宮(神社)に近接する津(港)」にちなむと考えられています。

 

 ただし、宮津郷の範囲や、地名の由来である「宮」や「津」が具体的にどこに当るかは不明で、今後の研究課題として、多くの謎が残されています。

 こうした中、日吉神社の摂社である杉末神社は、平安時代の「延喜式」神名帳に記載され、古代の宮津を考える鍵となるかもしれません。

 

 

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