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第43回 参詣から観光へ

印刷用ページを表示する 記事ID:0005061 更新日:2021年1月29日更新
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参詣から観光へ

参詣から観光へ

 江戸時代まで、日本の旅は社寺への参詣や、和歌の枕詞となった「名所」の訪問を主な目的としました。一方、明治時代になると、日本の自然の美しさを紹介した志賀重昂『日本風景論』がベストセラーとなり、自然景観への関心が高まりました。

 

 旅の目的も、こうした自然美の鑑賞や、海水浴や温泉地での保養などと多様化し、これを参詣から近代観光への転換と位置づけることができます。

 

 天橋立を描いた絵画をみても、中世から江戸時代は、雪舟「天橋立図」(国宝)に代表されるように、天橋立と智恩寺、成相寺、籠神社などの社寺が一体的に表現されたのに対して、近代には砂州(天橋立)、海、山などで構成される見たままの風景が写実的に描かれ、天橋立に対する視点が変化しています。傘松公園といった展望所の整備も、こうした自然景観への関心に応えたものと評価できます。

 

 また、江戸時代から四軒茶屋が軒を連ねた智恩寺の門前では、宿泊者を受け入れるために木造三階の旅館が建てられ、町並みが大きく変わりました。さらに、大正一四年(一九二五)、天橋立駅が開設すると、駅前に土産屋街が展開し、現在の町並みの原型となりました。

 

 こうして明治から大正時代の天橋立は、伝統的な参詣地から近代観光地へと生まれ変わりましたが、その変化は現在の景観の中に重層するように刻まれ、日本の旅の歴史を雄弁に物語っています。

 

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