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第42回 天橋立の公園化

印刷用ページを表示する 記事ID:0005060 更新日:2021年1月29日更新
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天橋立の公園化

 天橋立は、智恩寺の領地として管理されてきましたが、明治四年(一八七一)、寺領が没収され府・藩・県の管轄地になると、天橋立も京都府の官林となりました。また、明治一九年には、京都府の管理を離れ、国の農商務省の管轄となっています。

 

 この時期、天橋立は海水浴場や温泉場、避暑地を備える観光地として注目を集め、特に、明治二八年に京都市内で内国勧業博覧会や平安遷都千百年祭が開催されると、観光資源として風致保存の必要性が強く意識されました。

 

 こうした中、天橋立を公園として整備する気運が高まり、明治三十八年、「橋立公園」として与謝郡の管理地に、翌年には名称が「天の橋立公園」となりました。

 

 さらに大正八年(一九一九)、現在の文化財保護の原点となる史蹟名勝天然記念物保存法が公布されると、天橋立は名勝地の候補となり、大正一一年三月八日、富士山を望む三保の松原(静岡県)とともに、国の名勝に指定されました。その範囲には智恩寺境内や磯清水、成相山が含まれ、これらが一体の景観地と位置づけられたことは、伝統的な「名所」のあり方を継承するとともに、近年の景観保全の考え方を先取りするものとして高く評価できます。

 

 こうした公園化や名勝指定の動きは、天橋立の名声を大いに高めるとともに、当時進められていた鉄道網の整備にも後押しされ、天橋立は近代観光地として新たな歴史を歩み始めました。

 

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