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第37回 宮津から文珠へ
宮津から文珠へ
江戸時代、宮津城下町から文珠に向かうには、船のほかに「文殊道」(巡禮道)と呼ばれる陸路が存在しました。
文見坂 → 潮見坂 → 鶏塚 → 老翁坂とつづく道は、上り下りの激しい山道で、難所だったと思われます。また、天気の良い日には、「飛石」と呼ばれる海岸沿いの岩を伝って、文珠に至ることができました。しかし、このルートは天候に左右され、冬場の往来は困難だったことでしょう。
「文殊道」の沿道には、和泉式部の物語を伝える「鶏塚」や、与謝蕪村との関係が指摘される。「老翁坂」など名所地が点在します。その存在は、江戸時代のガイドブックである「丹後国天橋立之図」にも紹介され、多くの参詣者を楽しませたと考えられます。
明治一四年(一八八一)、幅員三間の府道宮津久美浜線」(現在の国道一七八号)が開通し、宮津から文珠に至る陸路は、大いに改善されました。同時に、江戸時代から知られてきた名所地は大切に保存され、現在も現在も受け継がれています。特に、大正一三年(一九二四)の鉄道敷設に当たっては、トンネルを設けることで「老翁坂」周辺の丘陵が保存され、その様子が古写真に残されています。
こうした取り組みは、現在の史跡や景観の保護を先取りするもので、先人の歴史に対する認識の深さがうかがえます。