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第35回 「橋立裁断」の問題

印刷用ページを表示する 記事ID:0005053 更新日:2021年1月29日更新
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「橋立裁断」の問題

 文珠と天橋立の間には、幅約1○○メートルの「切戸」が横たわり、阿蘇海は宮津湾と一体となった内海として、古くから良好な港や漁場であったと考えられます。しかし、江戸時代後半には、土砂の増加にともなって南砂州(小天橋)が形成され、阿蘇海の水質悪化が問題となりつつありました。

 

 こうした中、享保年間(一七一六~一七三五)には、阿蘇海を漁場とする溝尻村から、「(海から魚が回游せず)近年不漁」であることを理由に「橋立裁断」(天橋立を切って宮津湾と阿蘇海をつなげる)の願い出がありました。これに対して、天橋立を所領とした智恩寺は、(1)橋立は「天下無双之絶境(てんかむそうのぜっきょう)」であるから、裁断すれば、「諸国往来之者迄嘲弄(しょこくおうらいのものまでちょうろう)」する。(2)橋立は古書にも書かれた「二神降下之神跡(にしんこうかのかみあと)」で、裁断すれば「天下之聞え不吉(てんかのきこえふきつ)」である。という二点から、これに反対しました。

 

 智恩寺による信仰の対象の保護と、溝尻村の生活・生業の矛盾が争点となっていますが、その解決が、「諸国から往来する人々の価値観」という公益の視点から論じられている点は、現在の景観や環境保護の理念と一致しており、その先見性には驚きます。

 

 阿蘇海の環境問題は、現在も大きな問題となっていますが、天橋立の保全を考える上で、先人の努力には学ぶべきものがあります。

 

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