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第32回 日本三景 天橋立

印刷用ページを表示する 記事ID:0005043 更新日:2021年1月29日更新
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日本三景 天橋立

 江戸時代になると貴族や僧侶だけでなく、庶民の旅も盛んとなり、『名所図絵』などのガイドブックが刊行されました。また、日本各地の名所を数え上げることが行われ、日本三景の一つとして天橋立が全国に知られていきます。

 

 寛永二〇年(一六四三)、儒学者・林鷲峰(がほう)が著した『日本国事跡考』には、松島、安芸厳島とともに丹後天橋立が「三処奇観」として登場します。また、俳諧師の大淀三千風(一六三九-一七〇七)は「本朝十二景」として名所の順位付けを行い、第四位として天橋立が取り上げられています。

 

 三千風によると、第一位が富士山を望む田子の浦(駿河)、第二位が松島(奥州)、第三位が箱崎(筑前)とされており、松島・天橋立・厳島を「日本三景」とする認識は、必ずしも確定していません。

 

 こうした中、貝原益軒が元禄二年(一六八九)の旅を記録した『己巳紀行』には、「此坂中より天橋立、切戸の文珠、橋立東西の与謝の海、阿蘇の海目下に在て、其景言語ヲ絶ス、日本の三景の一とするも宜也」という表現がみられます。これにより、少なくとも一七世紀後半には、天橋立を「日本三景」とすることが定着していたといえます。

 

 この時期は「開発の時代」とも呼ばれ、全国で干拓や新田開発が盛んに行われました。天橋立が「日本三景」として広く認知されたことは、その後の景観保全において、重要な契機になったと考えられます。

 

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