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第31回 細川藤孝がみた天橋立

印刷用ページを表示する 記事ID:0005042 更新日:2021年1月29日更新
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細川藤孝がみた天橋立

細川藤孝がみた天橋立​

 天正八年(一五八〇)、丹後に入国した細川藤孝は天橋立を訪れ、二首の和歌を詠みました。

 

 (一)そのかみに契りそめつる神代までかけてぞ思う天の橋立

 (二)いにしえにちぎりし神のふた柱いまも朽ちせぬ天橋立

 

 「神代までかけてぞ思ふ」は『丹後国風土記』の神話的な世界観を、「いにしえのちぎりし神のふた柱」は『九世戸縁起』(天橋立の成り立ちなど記した巻物)の「伊弉諾尊、伊弉冉尊の二神」を踏まえたものと考えられ、藤孝の文学的な教養がにじみ出ています。

 

 また、天正一四年(一五八六)、藤孝により丹後に招かれた神道家の吉田兼見は、宮津から智恩寺に至って休憩した後、縁起などを一覧し、天橋立の切戸を舟で渡っています。

 

 兼見がみた「縁起」は、『九世戸縁起』をさすと考えられ、藤孝も和歌に詠んでいることから、当時の文人の間で『九世戸縁起』は有名な存在だったと思われます。

 

 その内容は、神仏習合の世界観に彩られ、現代の感覚とはかけ離れたものです。しかし、当時の人たちは、現実味をもって『九世戸縁起』を読んだ可能性があり、その世界観を通して天橋立を眺めていたとも考えられます。

 

 細川藤孝のみた天橋立は、現在の私たちが見るそれとは、趣を異にしていたのかもしれません。

 

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