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第30回 「九世戸縁起」の世界

印刷用ページを表示する 記事ID:0005041 更新日:2021年1月29日更新
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「九世戸縁起」の世界

 智恩寺には、東福寺(京都市)の僧・清巌正徹が書いたとされる『九世戸縁起(室町時代)が残されています。

 

 この巻物には、

 (1)伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が、龍神を平定するために中国の五台山から智恩寺の本尊である文殊菩薩を招いた。

 (2)伊弉諾尊、伊弉冉尊が如意を浮かべ、龍神たちが土を築き、舞い降りた天人たちが一夜に松を植えて橋立となった。

 (3)橋立明神は、地神第一神、第二神である天照大神、天忍穂耳尊が建立した。

 (4)天神七代と地神二代をあわせて、九世戸と名付けた。

 (5)平安時代に延喜帝(醍醐天皇)が天橋立智恩寺の山号、寺号を与えた。

 

 など、天橋立や智恩寺の成り立ちが語られています。また、みや津(宮津)、火置(日置)、ゑしり(江尻)など、天橋立周辺の地名の由来もみられます。

 

 従来、こうした中世の文書は、説話的な要素が多いことから、歴史学の研究対象としては敬遠されてきました。しかし近年では、これらは「中世神話」と名付けられ、当時の人達の世界観を知る材料として見直されています。

 

 また、黒田日出男氏によって、中世には国土を龍神と結びつけて考えていたことが指摘されており、天橋立と龍の関係をひも解く上で、『九世戸縁起』の世界は参考になります。

 

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