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第28回 禅僧たちの往来

印刷用ページを表示する 記事ID:0005028 更新日:2021年1月29日更新
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禅僧たちの往来​

 室町時代の仏教界は、古代から国家の庇護を受けてきた密教と、新興勢力の禅宗が対立を深めていました。応安二年(一三六九)、比叡山の衆徒が大津・日吉社の神輿を担いで幕府に圧力をかけると、細川頼之が南禅寺(禅宗の筆頭寺院)の山門を破却。これに抗議して、禅宗の僧侶である春屋妙葩(しゅんおくみょうは)は加佐郡余部里の雲門庵(舞鶴市)に隠居したと伝えられます。

 

 春屋のもとには多くの禅僧が訪れ、自身も丹後各地に足を伸ばしています。その足跡は漢詩集『雲門一曲』によって知ることができ、天橋立伝説にちなむ「天橋跨海(こかい)」、智恩寺を素材とした「九世聖燈」など、九世戸(文珠)を舞台とした漢詩が残されています。

 

 その後、春屋は足利義満の力によって南禅寺住持に復職。相国寺の建設にたずさわり、室町幕府において宗教政策の中枢を担いました。

 

 天橋立を擁し京都に近い丹後は、格好の隠居地となったようで、嵩山居中、愚中周及、性海霊見など優れた禅僧が盛んに往来しました。特に、彦龍周興は智恩寺や成相寺を参詣し、智恩寺の「対潮庵」に招かれています。

 

 こうした禅僧たちは、政治・外交や文学に通じたエリートで、彼らの来訪は、足利義満の九世戸参詣とならんで、当地の文化の発展に大きな役割を果たしました。

 

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