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第27回 足利義満と九世戸参詣

足利義満と九世戸参詣
室町幕府の三代将軍・足利義満は、王権が分裂した南北朝の統合や、中国・明との国交樹立を成し遂げたことで知られます。その強大な権力から、天皇の権力を奪い取ることを目指したとする学説もあり、近年、注目を集める人物です。
足利義満と文珠(九世戸)の関連は深く、至徳三年(一三八六)から六回にわたり「九世戸参詣」を行っています。こうした参詣・遊覧は、各地の有力大名を牽制する意味があったとされていますが、三回以上の訪問は、九世戸と兵庫津に限られます。このことから、義満が天橋立の風景を好んでいたとも考えられます。
また、その背景として、丹後国守護・一色満範との友好関係も重要です。満範も時の権力者を招待することで、自らの権力基盤を強化したと考えられます。
ところで、室町時代には、世阿弥が改作に関わった『丹後物狂』や『九世戸』など、九世戸を舞台とした能が多く作られます。特に、『丹後物狂』は、義満のために制作されたとする説もあり、作者も義満とともに、この地を訪れたかもしれません。
まさに中世の九世戸は、「芸能誕生の場」として多くの文人を惹きつけ、天橋立の魅力を高めたと評価できます。