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第26回 智恩寺の創建

印刷用ページを表示する 記事ID:0005026 更新日:2021年1月29日更新
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智恩寺

智恩寺の創建

 文珠にある智恩寺は「切戸の文殊」と呼ばれ、安倍文殊院(奈良県桜井市)・大聖寺(山形県高畠町)または金戒光明寺(京都市)とともに、「日本三文殊」の一つとして信仰を集めています。

 

 『九世戸縁起』によると、延喜四年(九〇四)に醍醐天皇の勅願寺として山号を賜ったとされていますが、古代の様相は明らかではありません。こうした中、平成九年から行われた文殊堂(本堂)の大修理では、内陣の四天柱の赤外線カメラによる調査で、文永七年(一二七〇)を最古とする墨書を発見。智恩寺の創建が、少なくとも鎌倉時代まで遡ることが確認されました。

 

 また、「十七日参籠」という墨書もみられ、文殊堂で本尊に祈願しつつ参籠修行が行われたと推定されます。「出羽国長井庄」(山形県)・「美作国東伏野」(岡山県)などの地名から、全国の僧侶が参詣していたことがわかります。

 

 ところで、本尊の文殊菩薩像(国重要文化財)は海との関連が指摘され、醍醐寺(京都市)などには「渡海文殊像」が伝わります。また、『法華経』には「竜女が竜宮で文殊の導きによって男身を得た」という物語が知られ、丹後に伝わる「浦島子」の伝説を連想させます。

 

 こうした文殊菩薩の性格は、天橋立に臨む智恩寺の立地を象徴するように思われます。

 

 

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