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第24回 溝尻と舟屋の風景
溝尻と舟屋の風景
阿蘇海に面する溝尻には、約四〇軒の舟屋が軒を連ね、漁業集落の面影を残しています。
宮津市域では、小田宿野、文珠(どん淵)、江尻、長江、大島などに舟屋が分布します。近年、舟屋の多くが姿を消していく中で、溝尻の景観は伊根浦(伊根町・重要伝統的建造物群)と双璧をなす存在として注目されます。伊根浦が居室化した二階建ての舟屋を主体とするのに対し、溝尻では舟や漁具を収納する仮設的な形式が混在し、舟屋建築の多様性をよく反映しています。
かつて溝尻では、沖網によるイワシ漁が盛んに行われ、特に、阿蘇海の真イワシは「金樽(金太郎)鰮」と呼ばれました。天橋立を訪れた俳諧師・蝶夢の『橋立秋の記』には、「(前略)是なん金太郎鰯とて、此内の海の名物なり」として「名月や飛び上がる魚も金太郎」という俳句がみられ、江戸時代には名物になっていたようです。
溝尻の成立は、籠神社から出土した文治四年(一一八八)銘をもつ経筒(国重要文化財)に「与謝郡拝師郷溝尻村」とあり、少なくとも平安時代まで遡ります。また、龍椿筆『天橋立図』には、籠神社や真名井社へ「おかげ参り」に向かう船が、溝尻を目指す光景が描かれ、阿蘇海の港に当たる性格も想定されます。
古代国府の近くには、「国津」「国府津」という港が置かれることが多く、溝尻は府中の海の玄関として、重要な役割を担った可能性があります。