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第20回 妙立寺と時宗、日蓮宗

印刷用ページを表示する 記事ID:0005019 更新日:2021年1月29日更新
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妙立寺と時宗、日蓮宗

雪舟『天橋立図』に描かれていませんが、妙立寺(みょうりゅうじ)の存在は重要です。同寺が所蔵する厨子(ずし)(国重要文化財)には、南北朝から戦国時代に及ぶ墨書がみられ、府中における時(じ)宗(時衆)、日蓮(にちれん)(法華)宗の展開を物語っています。

墨書によると、貞和二年(一三四六)に遊行上人(ゆぎょうしょうにん)託阿(たくあ)が、満福寺を開いたとされています。この寺院は現存しませんが、智恩寺に「萬福寺」の扁額(へんがく)が残り、「天橋立道場」として時宗勢力の拡大に大きな役割を果たしました。火災により何度も再建されており、大谷寺、成相寺や歴代の丹後国守護から援助を受けています。

さらに墨書には、妙立寺の創建や府中における日蓮宗寺院の展開が記されています。満福寺と妙立寺の関係は不明ですが、満福寺の衰退後に、この厨子が妙立寺に移されたようです。

 雪舟『天橋立図』は、古代から勢力を誇った真言・律宗(りっしゅう)寺院や、室町時代に幕府の庇護(ひご)を受けた禅宗寺院を中心に描き、時宗や日蓮宗寺院を意識的に排除したとされています。

妙立寺の厨子は、こうした雪舟『天橋立図』の欠落部を詳細に描いており、丹後「府中」の中世史を複眼的に復元する第一級の史料です。特に、時宗や日蓮宗は、港町を拠点とする商人と結び付き、教線を拡大したとされており、阿蘇海に面して発展した丹後「府中」の一面を見直す上で注目されます。

 

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