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第19回 安国寺と宝林寺
安国寺と宝林寺
雪舟『天橋立図』には、慈光寺と国分寺の間に「十刹安国寺」・「諸山寶林寺」が描かれています。現在、これらの寺院は廃寺となっていますが、「安国寺」・「法蓮寺」という小字名が残り、かつての大伽藍を偲ぶことができます。
安国寺は、南北朝時代に足利尊氏・直義兄弟が、無夢疎石の勧めにより、後醍醐天皇らの戦没者を弔う目的で建立した寺院です。奈良時代の国分寺に倣い国ごとに一寺一塔(安国寺・利生塔)が建てられ、綾部市の安国寺が筆頭とされています。丹後では智恩寺の嵩山居中が開山し、弟子に譲って秋月庵と呼ばれていたものを、暦応二年(一三三九)に安国寺としたと伝えられています。
一方、宝林寺は、正応二年(一二八九)に臨済宗の僧・無象静照が開山した「丹之法林寺」に該当すると考えられます。五山・十刹に次ぐ諸山とされていますが、具体的なことについては不明です。
両寺院とも、享保十一年(一七二六)刊行の『丹後国天橋立之図』には遺跡として記載され、少なくとも江戸時代には廃寺となっていたようです。近年、地元の「府中をよくする地域会議」の皆さんにより古道の整備が行われ、安国寺、宝林寺跡にも再び光が当てられました。
この一帯では、耕作時に礎石が見つかったという情報もあり、発掘調査による実態の解明が課題となっています。