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第15回 古代から中世へ

印刷用ページを表示する 記事ID:0005005 更新日:2021年1月29日更新
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難波野遺跡の発掘

古代から中世へ

 古代・丹後国の中心地と考えられる府中には、鎌倉時代以降、守護所と呼ばれる役所が置かれ、丹後国の中核を担い続けました。「府中」という地名は、古代の国府域を受け継いで、守護所が置かれた地域に多く、宮津市の府中一帯は、その典型例と評価できます。

 

 古代の国府と同様に、守護所は未発見ですが、雪舟『天橋立図』には慈光寺(現在の府中小学校周辺)に近接して立派な塀が描かれ、これを守護所と考える意見もあります。

 

 ところで、宮津市教育委員会が進めている難波野遺跡の発掘では、平安時代後期から鎌倉時代の建物跡や溝・井戸などが面的に検出されました。また、これまでの発掘資料を見直すと、府中全域でこの時期の出土品が最も多く、当時の景観を大きく変えるような開発が行われたと想定されます。

 

 これまで府中では、奈良時代の国府や、雪舟『天橋立図』(室町時代)が注目を集めてきました。しかし、発掘調査の結果、平安時代後期から鎌倉時代に新たな画期が見出され、古代から中世への転換期として、その重要性は見逃せません。

 

 特に、この時期は、成相寺が西国三十三所霊場として全国に知られた時代と重なり、成相寺や天橋立への旅が本格化し、多くの参詣客の往来が、新たな時代の幕開けに花を添えたのかもしれません。

 

 

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