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第12回 古代人がみた天橋立
古代人がみた天橋立
国生みしたイザナギノミコトが
天に通行するために椅(はし)を作ったが、
神が昼寝している間に倒れて砂浜になった。
『丹後国風土記逸文』には、天橋立の成り立ちについて、興味深い伝承がみられます。この逸文は、散逸した『風土記』(奈良時代に成立)の断片を集めたもので、古代人の天橋立に対する認識を反映すると考えられます。
自然の造作による美しい天橋立の姿は、神話の世界と結びつけられており、天橋立が神秘的な風景とみられていたことがわかります。
ところで古代の「椅」は、王権の象徴である「高殿」(神社建築の原型)に登る装置と考えられ、神の世界と往来するシンボルとする説があります。
また、「天に通行する」というモチーフは、中国・神仙思想における「昇天・昇仙」にも通じ、天橋立の伝承と神仙思想の関連が想定されます。特に、『丹後国風土記逸文』には、「奈具の社」(羽衣伝説)や「浦の嶼子」(浦島太郎伝説)と、神仙思想の影響が強い伝承がみられ、「天橋立」の名称を、こうした思想的背景の中で考えることも可能でしょう。
古代の思想・観念は、比較的新しい研究分野ですが、「天橋立」に込めた古代人の想いを読み解く際に、多くのヒントを与えてくれます。